夫に信仰を伝えるべきか悩んだときの祈り|信仰と結婚に悩むクリスチャン女性へ

未分類

「神さま、この素晴らしい恵みを、一番愛する人にどう伝えたらいいのでしょうか…?」💖

この記事を読んでくださっているあなたは、もしかしたらこんな悩みを抱えていませんか?

  • 夫に信仰の話をすると、空気が重くなる…
  • 周りのクリスチャン夫婦が羨ましくて、つらくなる…
  • 「夫を救いたい」という祈りが、いつしか重荷になっている…

その苦しい気持ち、もう一人で抱え込まないでください。

この記事を最後まで読めば、あなたは「夫の反応」に一喜一憂する生き方から解放され、神さまからの無条件の愛に根ざした、揺るがない平安を手に入れるヒントを見つけることができます。

夫婦関係の悩みを、神さまとの関係を深める祝福へと変える旅を、ここから一緒に始めましょう。

夜の静寂に響く、心の叫び

一日が終わり、家の中がしん…と静まり返る時間。時計の秒針の音だけがやけに大きく響くこのひとときが、私にとっては喜びであると同時に、胸がぎゅーっと締め付けられるような孤独を感じる時間でもありました。
隣の寝室からは、愛する夫の穏やかで規則正しい寝息が聞こえてきます。その平和な音は、私に安らぎを与えてくれるはずなのに、皮肉なことに、かえって私の心を深い孤独の海へと沈めていくのです。

「この素晴らしい神さまの愛を、夫にも知ってほしいのに…」
「どうして、この一番大切なことを、私たちは分かち合えないんだろう…」😭

声にならないため息が、部屋の暗闇にそっと溶けていきました。クリスチャンである私にとって、信仰は人生の羅針盤であり、日々の喜びの源泉です。美しい夕焼けを見たとき、心温まる親切に触れたとき、困難な状況で不思議な助けがあったとき、私の心は自然と神さまへの感謝で満たされます。そして、その感動を真っ先に分かち合いたいと願うのは、人生で最も大切なパートナーである夫、あなたなのです。

けれど、その思いを口に出すことは、いつからかできなくなっていました。夫は、心から優しい人です。私がクリスチャンであることも、毎週日曜日に教会へ足を運ぶことも、文句一つ言わずに受け入れてくれています。「いってらっしゃい」と笑顔で送り出してくれるし、家事も積極的に手伝ってくれる。私が仕事で疲れて帰れば「お疲れさま」と温かいお茶を淹れてくれるし、私の話を根気よく聞いてくれる、本当に素晴らしいパートナーです。

でも、ただ一つ、信仰の話になると、そこにはいつも、見えないけれど確かに存在する、厚くて冷たいガラスの壁が立ちはだかるのです。

それは「無関心」という名の、決して越えられない壁。私が教会での感動や、御言葉から受けた慰めを分かち合おうとすると、彼の表情はほんの少しだけ曇り、「そうなんだ、よかったね」と優しい声で言いながらも、その目はどこか遠くを見ている。そして、ごく自然にテレビの話題や明日の予定の話へと切り替えられてしまう。

その度に、私の心はきゅっと痛みました。まるで、私の心の最も大切な部分への扉を、そっと閉められたような感覚。このガラスの壁に触れるたび、私はひとりぼっちなのだという現実を突きつけられるのです。

この信仰の道を、私は結局、たった一人で歩いているのではないか。そんな思いが、じわじわと心を蝕んでいきました。「伝えるべきなの?」「でも、もし拒絶されたら?」「今のこの平和な関係が壊れてしまったらどうしよう…?」そんな出口のない問いが、夜ごと頭の中をぐるぐると巡り、眠れない夜を幾度も過ごしました。

焦りから生まれた、苦い思い出

「あなたも一緒に行けたら、どんなに素晴らしいだろう…」
その言葉は、もう何年も前に飲み込む癖がついていました。心の奥底にあるこの切なる願いを、一度だけ、勇気を振り絞って口にしたことがあります。

それは、結婚してまだ間もない頃のことでした。当時の私は、希望に満ち溢れていました。「私が神さまの愛に生かされて、喜びに満ちて生きる姿を見ていれば、きっと夫の心もいつか動かされるはず」と、何の疑いもなく信じていました。

そして、クリスマスの時期がやってきたある日、私は絶好のチャンスだと思ったのです。街はイルミネーションで輝き、誰もが心躍る季節。教会では、初めての人でも参加しやすい特別なキャンドルサービスがありました。🕯️✨

私は深呼吸をして、少し緊張しながら彼に切り出しました。
「ねぇ、今度の日曜日の夜、クリスマスの特別な礼拝があるんだけど…。一度だけでいいから、一緒に行ってみない?賛美歌も綺麗だし、きっと素敵な時間になると思うの」

私なりに、彼が一番参加しやすいシチュエーションを選んだつもりでした。きっと、教会の温かい雰囲気や、キャンドルの灯りの中で響き渡る賛美歌の美しさに触れれば、彼の心にも何かが届くはず。そんな淡い期待を胸に、彼の返事を待ちました。

彼の答えは、私の予想通り、とても優しく、そして、私の予想以上に、決定的なものでした。
「誘ってくれてありがとう。でも、ごめん、俺はいいや。君が楽しんでくるのが一番だよ」。

彼の言葉には、棘のかけらもありませんでした。私を尊重し、私の楽しみを心から願ってくれているのが痛いほどわかるのです。でも、だからこそ、その言葉は私の心に深く突き刺さりました。それは、ただの「ノー」ではなく、私が大切にしている世界そのものへの、穏やかで、揺るぎない拒絶のように感じられたのです。

彼の心の中に、信仰というものが入るスペースは、今は全くないのだと悟ってしまいました。心の中にあった小さな希望の灯が、冷たい風にフッと吹き消されたような、深い失望感と寂しさが私を襲いました。その日から、私は家庭の中で信仰の鎧を脱ぎ、神さまについて語る口を固く閉ざすようになりました。夫を困らせたくない、そして何より、これ以上自分が傷つきたくない、という臆病な自己防衛だったのかもしれません。

「夫を変えてください」という祈りの罠

口では信仰について語らなくなっても、心の中の祈りは止まりませんでした。いえ、むしろ、その思いは日に日に強くなっていったのです。
「神さま、どうか夫の心を開いてください」🙏
「彼にも、この救いの喜びを教えてください」
毎晩、夫が眠りについた後、彼の枕元で、眠っている彼の頭にそっと手を置いて祈った夜も数えきれません。私の熱心な祈りがあれば、いつか奇跡が起こると信じていました。

けれど、一年が経ち、二年が経ち、五年という月日が流れても、夫の心に信仰の芽が出る気配は一向にありませんでした。それどころか、私が教会での出来事を少しでも話そうとすると、「へぇ、よかったね」とテレビを見ながら相槌を打つだけ。その目は、画面に映るバラエティ番組に釘付けのままです。その無関心な態度に、私の心は少しずつ、確実にすり減っていきました。

いつしか、私の熱心さが、かえって彼にプレッシャーを与え、心を閉ざさせているのかもしれない、とさえ思うようになりました。そう考えると、何も言えなくなってしまいました。

そして、私の祈りの言葉も、次第に力を失っていきました。
「神さま、なぜですか?こんなに、こんなに祈っているのに、何も変わらないじゃないですか」
「私がもっと立派なクリスチャンだったら、夫は信じてくれたのかもしれない…」

教会で、夫婦で仲良く奉仕をしている兄弟姉妹の姿を見るたびに、胸が締め付けられるような嫉妬と自己嫌悪に襲われました。「どうして、うちは違うんだろう…」。彼らと自分を比較しては、自分の信仰の足りなさを責めました。

私の祈りは、いつしか神さまへの信頼から、答えをくれない神さまへの不満と、何もできない自分の無力さを嘆く独り言に変わっていきました。それはもはや「祈り」ではなく、神さまへの「要求」であり「詰問」でした。そしてついには、祈ること自体が重い義務となり、ただ形式的に言葉を口にするだけの、空しい時間になってしまったのです。「夫を変えたい」と願う祈りは、結果的に、私自身の心を苦しみと焦りの罠に、深く陥れていました。

疲れ果てた心で開いた、一筋の光

そんな出口のないトンネルを彷徨っていた、ある夜のことです。
その日も、夫との間に流れる微妙な距離感と、決して埋まることのない心の溝に、私はすっかり疲れ果てていました。夫は何も悪くないのです。ただ、彼は彼の世界に生きていて、私は私の世界に生きている。その二つの世界が交わらないことに、私が勝手に絶望しているだけでした。

もう祈る気力さえ湧かず、ただ呆然とリビングの椅子に深く沈み込むように座っていました。心の中は、まるで真っ暗なトンネルのよう。どこまで進んでも光の見えない、冷たい闇がどこまでも続いているように感じられました。

そのとき、ふと、テーブルの上に置きっぱなしになっていた聖書が目に入りました。ここ最近、義務的にしか開いていなかった、埃をかぶりかけた私の聖書です。

「読んだって、どうせ何も変わらない…」

諦めに満ちた言葉が心の中で響きました。それでも、まるで見えない力に引かれるように、私はその聖書を手に取りました。ぱらぱらと、何の目的もなくページをめくる指が、ある場所でふと、止まったのです。そこに記されていた御言葉が、闇の中にいた私の目に、まるで強力なサーチライトのような強い光となって、真っ直ぐに飛び込んできたのです。✨

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
(イザヤ書 43章4節・新改訳 2017)

その瞬間、私の周りの時間が止まったかのようでした。次の瞬間、堰を切ったように、涙があとからあとから溢れてきて、止めることができませんでした。😭
でも、それはいつもの孤独や悲しみの涙ではありませんでした。何年も凍てついていた心の奥深くに、温かい何かがじんわりと染み渡り、氷のように固くなった心を優しく、ゆっくりと溶かしていくような、そんな涙でした。

ハッとさせられました。神さまは、「あなたの夫が信じたら、あなたは高価で尊い」とは言われなかった。「あなたがもっと完璧なクリスチャンになったら、あなたを愛してあげる」とも言われなかったのです。

ただ、ありのままの「私」という存在そのものを、夫の信仰の状態とは全く関係なく、「高価で尊い」と言ってくださっていたのです。夫の反応によってグラグラと揺らいでいた私の価値を、神さまは絶対的で無条件の愛で、力強く肯定してくださいました。孤独に震え、自分の無力さを嘆いていた私のすぐそばで、神さまはずっと、ずっと私を見ていてくださった。その圧倒的な事実に気づいたとき、自己憐憫の涙は、ただただ神さまの愛に包まれる、温かい感謝の涙へと変わっていました。

祈りの転換点 ― 「夫」から「私」へ

その夜を境に、私の祈りは180度、その方向性を変えました。
以前の私は、自分の孤独という「渇き」を埋めるために、「神さま、夫を変えてください」と必死に祈っていました。夫が変わることだけが、この苦しみから解放される唯一の道だと信じて疑わなかったからです。今思えば、それは祈りの形をした、神さまへの「要求」であり、自分の願いを叶えるための手段に過ぎませんでした。

しかし、神さまが私自身をどれほど深く、無条件に愛し、大切に思ってくださっているかを知ったとき、祈りの焦点が、外側(夫)から内側(私)へと劇的に移ったのです。まず求めるべきは、夫の変化という目に見える結果ではなく、私自身の心が神さまの愛で満たされることでした。

私の祈りは、このように変わっていきました。

「神さま、私のこの渇いた心を、まずあなたの愛で満たしてください。そして、そのあふれる愛をもって、夫を愛するための力を、知恵を、私に与えてください。」💖🙏

「夫を、私の目ではなく、あなたの目で愛することができますように」
「私が、この家の中で、あなたの愛と平安を映し出す穏やかな器となれますように」
「結果を焦ってしまう私の心に、あなたからの平安と、あなたへの信頼を与えてください」

このように祈るようになったとき、驚くほど心に不思議な平安が訪れるのを感じました。もちろん、状況がすぐに変わったわけではありません。夫は相変わらず信仰に無関心なままです。でも、私の心の土台が、「夫の反応」という常に揺れ動く不安定な砂地から、「変わることのない神の愛」という決して揺るがない巨大な岩盤へと移されたことで、以前のように彼の些細な言動に心が揺さぶられることが、格段に少なくなっていったのです。

「あなたは、決して独りではなかった」

神さまのこのメッセージは、私の心の奥深くに、太くて丈夫な錨のように、しっかりと下ろされました。誰にも言えなかった心の叫びも、夜中に一人で飲み込んできた祈りも、神さまはすべてご存じだったのです。夫という一番近くにいる人に理解されない痛みも、神さまはすべて知った上で、「それでも、わたしはあなたを愛している」と、今この瞬間も語り続けてくださっている。その気づきは、私の信仰人生における、本当に大きな、大きな転換点となりました。

「伝える」から「生きる」へ ― 私が始めた3つのこと

神さまの愛に満たされることを祈り始めてから、私は意識的に3つのことを実践するようになりました。それは、もはや「信仰を言葉で語り、説得する」というアプローチではなく、「信仰を日々の生き方で示していく」ための、ささやかですが、私にとっては大きな一歩でした。

1. 夫の「好き」を、私の「好き」にしてみる 🎣🎮
正直に言うと、以前の私は、夫が夢中になっている趣味(例えば、週末の早朝から出かける釣りや、夜な夜な没頭しているオンラインゲーム)に全く興味がありませんでした。

むしろ、「そんな時間があるなら、もっと有意義なことがあるのに」と心の中で裁いてしまっていたかもしれません。しかし、「神さまが愛しておられるこの人が、こんなに楽しんでいるものは何だろう?」という新しい視点で、彼の世界に足を踏み入れてみることにしたのです。

「今日の釣りの成果はどうだった?」「そのゲーム、どんなところが面白いの?」

最初は少しぎこちなかったかもしれません。でも、私が本当に興味を持って質問すると、夫は驚いたように顔を上げ、そして少年のようなキラキラした笑顔で、嬉しそうに話をしてくれました。

彼が大切にしている世界を私も尊重し、共有しようとすることで、閉ざされていた心の扉が少しだけ開かれ、二人の間の心の距離がぐっと縮まった気がしました。それは、彼の存在そのものを丸ごと肯定することにつながったのだと思います。

2. 「ありがとう」を具体的に伝える 😊💐
あまりにも当たり前になっていた夫の優しさや日々の協力に対して、改めて感謝の言葉を具体的に伝えるようにしました。以前の私は、無意識のうちに「足りない部分」ばかりを探して不満を募らせていましたが、意識して「満たされている部分」「感謝できること」を探すようにしたのです。
「いつもお仕事ありがとう。あなたのおかげで安心して暮らせるよ」「ゴミ出ししてくれてありがとう、本当に助かった!」。
最初は照れくさかった小さな感謝の言葉。でも、それを口にするたびに、夫が少し嬉しそうな顔をするだけでなく、私自身の心もじんわりと温かくなるのを感じました。不満のメガネを外して、感謝のメガネをかけてみると、日常にはこんなにもたくさんの「ありがとう」が溢れていたのだと気づかされました。感謝を探す毎日は、澱んでいた家の中の空気を、明るく軽やかなものに変えてくれました。

3. 自分のための「喜びの時間」を作る ☕🍰
夫の救いのことばかりを考え、自分を追い詰めていた私でしたが、「神さまにこんなにも愛されている自分自身を、まずは私が大切にしよう」と思えるようになりました。好きな音楽を聴きながら丁寧にコーヒーを淹れる時間。気のおけない友人とカフェでおしゃべりする時間。

美しい景色を見に、少し遠くまで散歩に出かける時間。そうやって、意識的に自分の心を喜びで満たしてあげることは、決して自分勝手でわがままなことではなく、この長い信仰の旅を続けていくために必要不可欠な「魂の燃料補給」なのだと気づきました。不思議なもので、自分の心が満たされていると、自然と夫に対しても優しく、寛容になれるのです。

静かな変化、そして希望の兆し

本当に不思議なことに、私が躍起になって「夫を変えよう」とすることをやめ、ただ神さまの愛に満たされることを祈り、自分の行動を少しずつ変えていってから、家庭の空気が目に見えて変わってきました。

ある晩、何気なく一緒にテレビを見ていたとき、夫がぽつりと、でもはっきりと私に言ったのです。

「なんか最近、お前の雰囲気、柔らかくなったな。前みたいにピリピリしてないし、一緒にいて楽だよ」

その言葉は、私にとってどんな慰めの言葉よりも力強い、神さまからの確かな「OKサイン」のように聞こえました。雷に打たれたような衝撃と、心の底から湧き上がる喜びで、涙が滲みました。私が信仰について熱く語らなくても、聖書の話をしなくても、私の内側にある神さまからの平安と愛が、静かに、しかし確実に夫に伝わっていたのです。

ああ、神さまは本当に、私が知らないところで働いておられる。私が自分の力で力ずくで変えようとするのではなく、私が神さまによって内側から変えられていくとき、周りの状況も静かに、神さまのやり方で変えられていくのだと、心から知ることができました。

孤独は消えない。でも、独りではない。

正直に告白しますと、今でも信仰における孤独が完全になくなったわけではありません。教会でご夫婦そろって仲良く礼拝している姿を見ると、羨ましいなという気持ちがゼロになったわけではないのです。ふとした瞬間に、寂しさが波のように胸に押し寄せる夜もあります。

でも、以前の私とは決定的に違うことがあります。

それは、「どんな状況の中にあっても、神さまは私と共にいて、私のすべてをご存じである」という、揺るがない確信です。

この確信は、嵐の海における重くて大きな錨(いかり)のようです。たとえ孤独という悲しみの波が押し寄せ、心が揺さぶられても、私の魂は「神の愛」という巨大な岩に固く結び付けられている。だから、もう絶望の海に流されてしまうことはない。この安心感が、今の私の最大の支えです。

この記事を読んでくださっているあなたも、もしかしたら「夫が無関心で、信仰を分かち合えないのが苦しい」…そんな眠れない夜を過ごしたことがあるかもしれません。誰にも言えないその痛みを、たった一人で抱え込んでいませんか?

今、LINEで心を軽くしませんか?💖

誰にも話せない「信仰を持つ妻」ならではの悩みを、一人で抱え込まないでください。
LINEでお友だちになってくださった方全員に、

「夫婦関係の中で信仰を守り育む3つの視点」

というPDF特典をプレゼントしています🎁
祈りの力を信じられなくなった夜、孤独に負けそうな時に、あなたの心を立て直し、神さまからの平安を受け取るための具体的なヒントをまとめました。

今すぐLINEで特典を受け取る

あなたが信じるその歩みに、神さまは必ず豊かな実を結ばせてくださるでしょう。
あなたの存在そのものが、神さまの目には何にも代えがたい「高価で尊い」宝物なのですから。

神さまと共に、今日も歩んでいきましょう。😊

プロフィール
Ainobi

40代主婦のAinobiです
元ノンクリスチャンの夫と結婚13年。
わかり合えなかった日々も、今ではいい思い出。
悩むあなたに、そっと寄り添えますように🍀

Ainobiをフォローする
未分類
シェアする

コメント

信じる妻と、信じない夫。

タイトルとURLをコピーしました