信仰が私の心を守ってくれた話|信仰と結婚に悩むクリスチャン女性へ

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予期せぬ裏切り。心ない言葉のナイフ。終わりの見えない不安の夜…。
人生には、まるで心のすべてを破壊しようとするかのような、激しい嵐が吹き荒れる時があります。

そんな時、多くの人は「ポジティブに考えよう」「時間が解決してくれる」と自分に言い聞かせようとします。でも、心が折れそうな時、そんな言葉はあまりにも無力で、虚しく響くだけ…という経験はありませんか?

「信仰は、そういう時の気休めでしょ?」
いいえ、決してそうではありません。

本物の信仰は、嵐を消し去る魔法ではありません。ですが、どんな激しい嵐の中でも、あなたの心の船が転覆しないように、魂の奥深く、決して揺るがない岩盤に打ち込まれる「錨(いかり)」のようなものなのです。⚓

これは、単なる慰めの話ではありません。私の人生で最も暗く、心がばらばらに砕けそうになったあの日、信仰がどのように私の心を守り、絶望の淵から私を引き上げてくれたのか。そのすべてを正直にお話しする、実体験の物語です。

もし今、あなたが心の痛みを抱えているなら、この記事が、あなたの心を守るための「盾」を見つける、最初のきっかけになるかもしれません。

「もう、これ以上は耐えられない」
心が砕け散ったあの夜、
私を抱きとめてくれたのは、見えない盾だった。

プロローグ:すべてが崩れ落ちた日

数年前の、ある日のことでした。

それまで私が大切に、そして慎重に築き上げてきた人間関係が、たった一つの出来事をきっかけに、まるで砂の城のように、ガラガラと音を立てて崩れ落ちるという経験をしました。

 

心から信頼していた友人からの、思いがけない裏切り。

事実とは全く異なる、悪意に満ちた噂が、私の知らないところで瞬く間に広まっていく恐怖。

良かれと思ってした親切が、すべて計算高い偽善だと罵られる、言葉にできないほどの理不尽さ。

 

まるで、終わることのない悪夢を見ているかのようでした。

弁解しようとすればするほど、言葉はねじ曲げられ、事態はさらに悪化していく。私の声は、厚い壁に阻まれて誰にも届かない。

昨日まで「大好きだよ」と笑いかけてくれた人たちが、今日は冷たい視線を投げかけ、私を避けるように通り過ぎていく。

 

私の周りから、どんどん人が離れていき、世界でたった一人、寒々しい荒野に取り残されたような、激しい孤独感に襲われました。

夜になると、心臓が巨大な手で鷲掴みにされるような強い不安に襲われ、一睡もできない夜が何日も続きました。目を閉じれば、私を非難する人々の顔が浮かび上がってくるのです。

大好きだった料理の味もわからなくなり、体重はみるみるうちに落ちていきました。鏡に映る自分の顔は、生気がなく、目の下には深い隈が刻まれ、まるで知らない人のようでした。

 

クリスチャンとして、私は藁にもすがる思いで、必死に祈りました。

「神さま、どうか助けてください」

「この悪夢のような状況を、どうか変えてください」

「私を苦しめる人たちを、あなたの愛で赦せる心をください」

 

でも、祈れば祈るほど、現実は何も変わらない。それどころか、まるで私の祈りをあざ笑うかのように、状況はどんどん悪化していくようにさえ感じられました。

 

「神さま、どこにいるの?」

「なぜ、こんなにも理不尽なことが起こるのを、ただ黙って見ているのですか?」

「こんなに苦しんでいるのに、あなたは結局、何もしてくれないじゃないか!」

 

ついに私の祈りは、助けを求める敬虔な声から、神さまへの怒りと絶望に満ちた、呪いにも似た叫びに変わっていました。

信仰なんて、この圧倒的な苦しみの前では、何の役にも立たない、ただの気休めに過ぎない。私は本気でそう思ったのです。😭

信仰への誤解:なぜクリスチャンもこんなに苦しむの?

この苦しみの渦中で、私をさらに追い詰めたのは、ある種の「信仰的な罪悪感」でした。

「信仰があれば、いつも心は平安なはずだ」

「こんなに苦しむなんて、きっと私の信仰が足りないせいだ」

「もっと強く信じていれば、こんなことにはならなかったかもしれない…」

 

あなたも、そう思ったことはありませんか?

私たちは無意識のうちに、「クリスチャン=苦しみからの免除」という、聖書のどこにも書かれていない幻想を抱いてしまうことがあります。

でも、それは大きな誤解です。

 

聖書を読めば、信仰の偉人たちこそ、私たちには想像もできないほどの苦しみを経験しています。

ヨブは全財産と子どもたちを失い、ヨセフは兄弟に裏切られ奴隷となり、ダビデは命を狙われ続け、パウロは何度も投獄され、そしてイエスさまご自身が、十字架という最大の苦しみを経験されました。

 

信仰は、人生の嵐を避けるための「魔法の傘」ではありません。

信仰とは、土砂降りの雨の中、ずぶ濡れになりながらも、決して倒れないように、私たちの足元を固めてくれる「揺るがない土台」なのです。

この苦しみは、私の信仰が足りない罰なのではなく、むしろ、私の信仰を本物にするための、神さまからの「訓練」なのかもしれない。そのことに気づくまで、私は長い間、自分を責め続けました。

転換点:絶望の底で聞こえた、ささやき

心が完全に折れてしまい、もう何もかも終わりにしたいとさえ思った、ある夜のこと。

涙も枯れ果て、感情も麻痺し、ただただ部屋の隅で虚空を見つめていました。

もう、祈る言葉さえ、見つかりませんでした。神さまへの怒りさえも、燃え尽きていました。

 

その、完全な沈黙の中で、ふと、私の心の奥底から、一つの御言葉が、まるで小さな泉のように、静かに、しかしはっきりと湧き上がってくるのを感じました。

それは、ずっと昔に暗唱したけれど、苦しみの中ですっかり忘れていた聖句でした。

 

「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」

(コリント人への手紙第二 12章9節)

 

「…わたしの恵みは、あなたに十分…?」

 

その言葉が、雷のように私の心を貫きました。

私はずっと、「状況が変わること」を恵みだと思っていました。

問題が解決し、人間関係が修復され、誤解が解けることこそが、神さまからの助けであり、恵みだと信じていました。

 

でも、神さまが言われたのは、違いました。

「状況を変えてあげよう」ではなく、「この最悪の状況のままで、わたしの恵みは、あなたに十分だ」と。

 

そして、「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる」。

つまり、私が今、自分の無力さに打ちひしがれ、完全に弱り果て、プライドも何もかも剥ぎ取られたこの瞬間こそが、神さまの力が最も完全に現れる最高のコンディションだというのです。

 

その瞬間に、私は理解しました。

信仰は、問題を取り除いてくれるものではない。

信仰とは、問題の真っ只中で、自分の弱さの中で、神さまの力を体験するための、最高のツールなのだ、と。

 

その夜、私の祈りは変わりました。

「神さま、この状況を変えてください」ではなく、

「神さま、この弱さの中で、あなたの力を現してください」と。

「この痛みの中で、あなただけを見上げさせてください」と。

それは、私の人生における、最も大きなパラダイムシフトでした。✨

信仰という名の「心の盾」- 3つの防御機能

その日から、私は信仰が、いかに強力な「心の盾」🛡️であるかを、身をもって体験していくことになります。

それは、具体的に3つの防御機能を持って、私の心を守ってくれました。

これは、今、苦しみの中にいるあなたの心をも守ってくれる力です。

1.【視点の盾】- 虫の目から鳥の目へ

私たちは苦しみの渦中にいると、どうしても視野が狭くなり、目の前の問題しか見えなくなります。(虫の目)

「どうしてこんなことに…」「もう終わりだ…」と、問題の周りをぐるぐると回り続けるしかできなくなります。

しかし信仰は、私たちの視点をぐいっと引き上げ、はるか上空から、神さまの視点(鳥の目)で物事を見る力を与えてくれます。

創世記のヨセフの物語を思い出します。彼は兄弟に裏切られ、奴隷として売られ、無実の罪で投獄されるという、想像を絶する苦しみを経験しました。虫の目で見れば、それはただの不幸の連続です。

しかし、後にエジプトの宰相となった彼は、自分を裏切った兄弟たちにこう言いました。「あなたがたは私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための計らいとなさいました」。彼は、すべての出来事の背後で働かれる神の壮大な計画、つまり鳥の目を持っていたのです。

「この出来事は、私の人生全体の中で、どんな意味を持つんだろう?」

「神さまは、この苦しみを通して、私に何を教えようとしているんだろう?」

そう考えた時、目の前の問題がすべてではなく、神さまの壮大な計画の中の、一つのプロセスなのだと理解できるようになります。

すると、問題に飲み込まれていた心が解放され、不思議なほどの客観性と冷静さを取り戻すことができるのです。

2.【感情の盾】- 祈りという魂の安全弁

怒り、悲しみ、妬み、不安…。

こうしたネガティブな感情は、心の中に溜め込むと、毒のように私たちを蝕んでいきます。

しかし、信仰は、「祈り」という、何を捨てても受け止めてくれる、無限に大きな「魂の安全弁」を与えてくれます。

聖書の詩篇を開いてみてください。特にダビデが書いた詩は、神への賛美だけでなく、「主よ、いつまでなのですか」「なぜ、あなたは私をお見捨てになるのですか」といった、赤裸々で、時には神に食って掛かるような、激しい感情の吐露に満ちています。

彼は「良いクリスチャン」ぶることなく、自分の心のありのままを神にぶつけました。そして、そのプロセスの最後に、彼はいつも神への信頼を回復していくのです。

「神さま、あの人が憎いです!」

「悲しくて、もう涙も出ません!」

「あなたのことが信じられません!」

どんなに汚くて、ドロドロした感情でも、神さまは決してあなたを裁きません。

ただ、「そうか、そうか」と、すべてを受け止め、聞いてくださる。この「感情のデトックス」ができるかどうかで、心の健康は劇的に変わります。祈りによって心のゴミをすべて吐き出した後には、神さまからの平安が、そっと心を満たしてくれるのです。🙏

 

3.【希望の盾】- 約束という揺るがない錨

未来が全く見えず、不安に押しつぶされそうな時、私たちの心は漂流する船のように、どこへ流されるかわかりません。

しかし信仰は、聖書に記された神さまの「約束」という、決して切れることのない錨を与えてくれます。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ 8:28)

この約束は、「今は最悪に見えるこの出来事も、最終的には、必ずあなたの益になる」という、神さまからの保証書です。

この錨を魂に下ろしている時、私たちは未来への漠然とした不安から守られます。嵐が止むかどうかは分からなくても、「この船は絶対に沈まない」という確信が、私たちに今日を生きる力を与えてくれるのです。⚓

 

最大の壁:「赦し」とどう向き合うか

この苦しみの中で、私にとって最大の壁となったのが「赦し」というテーマでした。

頭ではわかっているのです。「赦しなさい」と聖書は教えている。赦さない限り、自分が憎しみの牢獄につながれたままだということも。

でも、心が、感情が、どうしてもついてこない。「どうして、あんな酷いことをした人を、私が赦さなければならないの?」と。

この葛藤の中で、私はいくつかの大切なことを学びました。

まず、「赦せない自分」を責める必要はないということ。赦せないのは、それだけ深く傷ついた証拠。神さまは、その痛みもすべてご存じです。「赦せない私を、まず神さま、あなたが赦してください」と祈ることから始めればいいのです。

次に、赦しは「感情」ではなく「意志的な決断」であるということ。相手への憎しみが消えるのを待っていたら、一生赦せません。感情は後からついてくるもの。「私は、神さまの前に、意志をもって、あの人を赦します」と、何度も何度も口に出して祈るのです。それは、相手のためというより、自分が憎しみの鎖から解放されるための決断です。

そして最後に、自分がどれほど大きな罪を神に赦されたかを思い出すこと。イエスさまが十字架で流された血潮によって、私のすべての罪は赦されました。その計り知れないほどの恵みを思えば、人が私にした過ちは、それに比べれば、なんと小さなことか。この十字架の視点に立つ時、頑なだった心に、初めて赦しの光が差し込んでくるのです

今日からできる、あなたの心を守るための実践

では、どうすれば、この「信仰の盾」を、あなた自身のものにできるのでしょうか。

私が嵐の中で見出した、今日からできる3つの実践をお分かちします。

① 御言葉の「救急箱」を用意する 💊

心が弱った時に、すぐに開けるように、あなたを励ましてくれる御言葉を書き出したノートや、スマホのメモを作っておきましょう。

不安な時、悲しい時、怒りに震える時…。それぞれの症状に合わせた「御言葉の処方箋」です。

苦しい時に聖書を開く気力はなくても、これならすぐにアクセスできます。神さまの言葉は、あなたの心の傷に直接効く、最高の薬です。

② 「感謝の筋トレ」を毎日する 💪

心がネガティブに傾いている時こそ、意識的に「感謝」を探すトレーニングが必要です。

どんなに辛い日でも、寝る前に3つ、感謝できることを見つけて声に出してみましょう。「今日も食事ができたこと、ありがとう」「温かいお風呂に入れたこと、ありがとう」「息ができていること、ありがとう」。

感謝は、私たちの心の焦点を、失ったものではなく、与えられているものへと強制的に合わせてくれます。この小さな筋トレが、あなたの心を、打たれ強く、しなやかなものに変えていきます。

③ 「祈りの戦友」を見つける 🤝

一人で戦わないでください。あなたの弱さを正直に打ち明け、共に祈ってくれる「戦友」を、教会や信頼できるクリスチャンのコミュニティで見つけましょう。

誰かが自分のために祈ってくれているという事実は、孤独な戦いの中で、どれほど大きな力になるか計り知れません。「だれでも、あなたがたのうちのふたりが、どんなことでも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」(マタイ 18:19)

エピローグ:嵐のあとには、凪がくる

私の心を打ち砕いたあの出来事から、数年の時が経ちました。

正直に言うと、状況がすべて元通りになったわけではありません。

失った人間関係もありますし、心の傷跡が完全に消えたわけでもありません。

でも、私は今、あの嵐の日々に、心から感謝しています。

 

なぜなら、あの嵐がなければ、私は信仰がこれほどまでにパワフルな「心の盾」であることを、知ることはなかったから。

順風満帆な時には決して手に入らない、神さまとの深く、親密な関係を、あの嵐の中で築くことができたから。

そして何より、人の弱さや痛みがわかる人間に、少しだけ成長させてもらえたからです。

あの嵐は、私の人生から多くのものを奪い去りましたが、それ以上に、かけがえのない宝物を残してくれました。

 

今、もしあなたが嵐の真っ只中にいるのなら、覚えていてください。

信仰は、あなたを決して見捨てません。

その盾をしっかりと構え、錨を下ろし、神さまの約束に信頼してください。

嵐は、必ず過ぎ去ります。そして、嵐が過ぎ去ったあとの海は、以前よりももっと深く、青く、澄み渡っているのです。

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なぜなら、その心は、天地を造られた神さまご自身によって、守られているのですから。

その真理に立って、今日も、明日も、力強く歩んでいきましょう。😊

プロフィール
Ainobi

40代主婦のAinobiです
元ノンクリスチャンの夫と結婚13年。
わかり合えなかった日々も、今ではいい思い出。
悩むあなたに、そっと寄り添えますように🍀

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信じる妻と、信じない夫。

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