教会に来てくれるけど、信じない夫へのモヤモヤ|信仰と結婚に悩むクリスチャン女性へ

夫婦関係

このブログを読んでくださっているあなたも、もしかしたら同じような気持ちを抱えているかもしれません。「夫が、毎週のように教会に一緒に来てくれる。娘も可愛がってくれるし、教会の皆ともにこやかに話してくれる。本当にありがたい。…でも、夫はまだ、イエス様を信じてはいない。

この、言葉にするのがとても難しい、嬉しさと、ありがたさと、そして胸の奥に広がる、なんとも言えない「モヤモヤ」。今日は、そんな私の正直な気持ちと、そのモヤモヤとどう向き合っているかについて、少し長くなりますがお話しさせてください。

クリスチャンの妻として、ノンクリスチャンの夫と歩む。それは神様が与えてくださったユニークな祝福の道だと信じていますが、平坦な道ばかりではありませんよね。この記事が、同じような道を歩むあなたの心に、そっと寄り添うことができたらと願っています。

嬉しい、と、苦しい。心に共存する二つの感情

日曜日の朝。少し眠そうな目をこする夫の隣で、娘の髪を結いながら教会へ行く準備をする。この光景は、私にとって当たり前のようで、実は当たり前ではない、奇跡のような時間です。

「一緒に来てくれる」という、言葉以上のギフト

夫は、クリスチャンではありません。結婚する前からそうでしたし、それを理解した上で私たちは家族になりました。それでも、私が「家族で教会に行きたいな」とぽつりと呟いた時、彼は「いいよ」と二つ返事で頷いてくれました。

初めて教会に行った日のことを今でも鮮明に覚えています。彼は少し緊張した面持ちで、でも私の隣で真剣にメッセージを聞き、慣れない讃美歌の歌詞を目で追っていました。礼拝が終わると、「みんな親切な人たちだね」「牧師さんの話、分かりやすかったよ」と笑顔で言ってくれたのです。その時の安堵と喜びは、言葉では言い表せません。

それ以来、夫はほとんど毎週、私たちと一緒に教会に通ってくれています。特別な用事がない限り、日曜の朝は家族で礼拝に行くのが我が家の習慣になりました。これは、本当に、本当に、感謝なことです。

  • 自分の大切な場所と時間を、夫が尊重し、共有してくれる喜び。
  • 娘が「パパもママも教会にいる」という安心感の中で過ごせる環境。
  • 礼拝後、メッセージについて「今日の話は〇〇だったね」と少しでも話せるきっかけがあること。

これら一つひとつが、神様からの大きな恵みであり、夫からの愛の形だと感じています。頭では、十分に分かっているんです。これ以上望むのは贅沢だ、とさえ思います。

それでも消えない「モヤモヤ」の正体

しかし、感謝の気持ちで心が満たされる一方で、ふとした瞬間に、影のように「モヤモヤ」が心を覆うことがあります。あなたも、こんな気持ちになったことはありませんか?

一番のモヤモヤは、「なぜ信じてくれないんだろう?」という素朴な、しかし根深い疑問です。

こんなにも素晴らしい神様の愛を、救いの計画を、どうして夫は受け入れられないのだろう。メッセージを聞いて、何か感じることはないのだろうか。心の扉を閉ざしている何かがあるのだろうか…。考え始めると、どんどん深みにはまっていきます。

そして、その疑問は、より深刻な不安へと繋がっていきます。

「この世の人生が終わった後、私たちは同じ場所へ行けるのだろうか?」

これは、クリスチャンとノンクリスチャンのカップルが直面する、最も根源的な問いかもしれません。永遠のいのちの喜びを、最愛の人と分かち合えないかもしれない。そう考えただけで、胸がぎゅっと締め付けられるように痛みます。この不安は、普段は心の奥底にしまい込んでいますが、時々ふと顔を出し、私を落ち着かなくさせるのです。

また、周りのクリスチャン夫婦が、信仰の喜びを分かち合い、共に祈り、奉仕している姿を見ると、羨ましさと同時に、寂しさを感じることもあります。もちろん、隣の芝生は青く見えるもの。どの家庭にもそれぞれの課題があることは分かっています。それでも、「私たちも、あんな風に同じ信仰を持って歩めたら…」と願ってしまう自分もいるのです。

時には、そのモヤモヤが自分自身に向かうこともあります。「私の信仰が足りないから、夫に伝わらないのかもしれない」「私の祈りが足りないせいだ」「もっと私が聖書の知識を持っていれば、うまく説明できるのに…」。そんな風に自分を責めてしまい、苦しくなる夜もありました。

モヤモヤと向き合うために私が試したこと(と、たくさんの失敗)

このモヤモヤを抱えたままではいけない。なんとかしなければ。そう思った私は、自分なりに色々なことを試してきました。今思えば、空回りばかりの失敗もたくさんありました。

失敗談①:焦って「教えよう」としてしまった

礼拝からの帰り道、「今日のメッセージ、すごく良かったよね!あの聖書の箇所はね…」と、熱っぽく解説を始めてしまったことがあります。夫は「へぇ、そうなんだ」と相槌を打ってくれるものの、その目はどこか遠くを見ている。明らかに、私の熱量と彼の関心には大きな隔たりがありました。

良かれと思ってしたことでしたが、それは彼にとって「信仰の強要」や「お説教」のように聞こえていたのかもしれません。人は、自分が求めていない時に与えられる情報を、素直に受け取ることは難しいものです。私は、夫の心の準備を無視して、自分の知識と感動を一方的に押し付けていたのです。結果として、夫婦の間に気まずい空気が流れるだけでした。

失敗談②:「祈りのプレッシャー」をかけてしまった

「夫の救いのために祈っています」と公言し、周りの人にも祈りを要請する。それ自体は悪いことではありません。しかし、私の心の中には、「これだけ多くの人が祈っているのだから、神様は応えてくださるはずだ」という、どこか神様を試すような、そして夫に無言のプレッシャーをかけるような気持ちが潜んでいました。

その祈りは、いつしか「夫が救われますように」という願いから、「『私が』安心するために、早く夫を救ってください」という自己中心的なものにすり替わっていたのかもしれません。人の救いは、完全に神様の領域です。私たちがコントロールできるものではないのに、私はそれを自分の力でどうにかしようと躍起になっていたのです。

視点を変えて、見えてきた光

たくさんの失敗を経て、疲れ果てていたある日、静かに祈る中で、ふと心に示された思いがありました。それは、「あなたは、夫を『変えよう』としすぎているのではないか?」という問いでした。

ハッとしました。私は、夫を「未信者の夫」というレッテルで見て、「救われるべき対象」として捉えていたのかもしれません。でも、彼はその前に、神様が私に与えてくださった、かけがえのないパートナーであり、ありのままで愛すべき存在なのです。

その視点に立った時、景色が少しずつ変わって見えました。私がすべきことは、彼を無理に変えようとすることではなく、神様が私に与えてくださった「妻」という立場で、彼を愛し、支え、祈ることなのではないか。そう気づいたのです。

ペテロの手紙第一 3章には、こう書かれています。

「同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。夫がみことばに従わない人であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。それは、あなたがたの、敬虔で純真な生活を見るからです。」(新改訳2017)

この「無言のふるまい」という言葉が、私の心に深く響きました。言葉で説得するのではなく、日々の生活を通して、キリストの愛と恵みを身をもって示すこと。それこそが、神様が私に求めておられることなのかもしれない。そう思えるようになったのです。

今日からできる、モヤモヤと上手に付き合うための具体的なアクション

考え方や視点を変えることは、一夜にしてできることではありません。今でも、モヤモヤが顔を出す日はあります。でも、そんな時に私が意識して実践している、具体的なアクションがいくつかあります。もしあなたが同じような気持ちを抱えているなら、何か一つでもヒントになれば嬉しいです。

1. 「祈りの質」を変えてみる

「夫が救われますように」という祈りをやめるわけではありません。でも、その祈りに、新しい祈りを付け加えてみるのです。

  • 「変えてください」から「祝福してください」へ:「夫の頑なな心を変えてください」と祈る代わりに、「今日も夫の仕事が守られ、豊かな人間関係に恵まれますように。彼の上に、神様の豊かな祝福がありますように」と、彼の幸せそのものを祈る。
  • 「急いでください」から「信頼します」へ:「神様、早く夫を救ってください」と焦って祈るのではなく、「神様。夫の魂を、あなたの御手にゆだねます。あなたの最も良い時(カイロス)を、私は信頼して待ちます」と、主権を神様にお返しする祈り。
  • 感謝の祈り:「今日も一緒に教会に来てくれてありがとう」「私の話を優しく聞いてくれてありがとう」と、夫がしてくれていることへの感謝を、神様に報告する。感謝は、私たちの視点を「ないもの」から「あるもの」へと変えてくれます。

2. 「語る」から「生きる」へシフトする

信仰を「トピック」にするのを、一旦お休みしてみる。その代わりに、日々の生活の中で、信仰を「生きる」ことを意識します。

  • 感謝を伝える:夫がしてくれた小さなこと、当たり前だと思っていることに、「ありがとう」と具体的に言葉で伝える。
  • 赦すことを実践する:夫婦ですから、喧嘩もします。腹の立つこともあるでしょう。でも、いつまでも根に持つのではなく、「神様が私を赦してくださったように」という思いで、こちらから折れる、赦す勇気を持つ。
  • 喜びを分かち合う:信仰とは関係のない、日常の小さな喜び。「今日のご飯、美味しいね」「娘のこの仕草、可愛いね」。そんな温かい時間を大切にすることで、家庭は安らぎの場になります。夫は、そんな妻の姿を通して、「彼女が信じている神様は、人をこんなにも穏やかに、喜びに満ちたものにするのか」と感じるかもしれません。

3. 自分自身の「ケア」を忘れない

このモヤモヤは、一人で抱え込むと本当に辛いものです。だからこそ、自分をケアする時間も大切にしてください。

  • 分かち合える友人を持つ:同じような境遇の友人や、信頼できる教会の姉妹に、正直な気持ちを打ち明けてみましょう。「私も同じだよ」という一言だけで、心が軽くなることがあります。
  • 神様との個人的な時間を死守する:夫の救いを願うあまり、自分の霊的な養いが疎かになっていませんか?あなたがまず、神様との親密な交わりの中で満たされ、養われることが何よりも大切です。あなたが泉となって初めて、そこから愛が溢れ出すのですから。
  • モヤモヤする自分を赦す:「こんな風に思うなんて、信仰が足りない証拠だ…」と自分を責めないでください。そのモヤモヤは、あなたが夫を深く愛しているからこそ生まれる感情です。その正直な気持ちも、すべて神様はご存知です。「神様、今、私モヤモヤしています。苦しいです。助けてください」。そう正直に祈るだけでいいのです。

まとめ:この旅路も、神様の祝福の中にある

教会に来てくれるけど、まだ信じてはいない夫。この状況は、もしかしたらこの先も、長く続くのかもしれません。あるいは、明日、神様の素晴らしい御業によって、夫が劇的な回心を経験するのかもしれません。それは、誰にも分かりません。

でも、一つだけ確かなことがあります。それは、この夫婦の形をデザインされたのは、神様ご自身だということ。そして、神様は、このユニークな夫婦の旅路を通して、私たちにしか学べない、特別なことを教えてくださろうとしているということです。

夫を変えようと焦るのではなく、神様の大きな計画を信頼する。信仰を語る前に、愛をもって生きる。そして、どんな感情も正直に神様に打ち明け、自分自身がまず恵みで満たされること。

私が今たどり着いたのは、そんなシンプルな答えでした。モヤモヤが完全に消えることはないかもしれません。でも、そのモヤモヤとの付き合い方は、以前よりもずっと上手になった気がします。そして何より、隣で穏やかに笑っている夫の存在そのものが、愛おしく、感謝なものだと、心から思えるようになりました。

この長い道のりを、神様はいつも共に歩んでくださっています。あなたの家庭の上にも、神様の豊かな祝福と導きが、豊かにありますように。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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プロフィール
Ainobi

40代主婦のAinobiです
元ノンクリスチャンの夫と結婚13年。
わかり合えなかった日々も、今ではいい思い出。
悩むあなたに、そっと寄り添えますように🍀

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