信仰の話をすると空気が重くなるあの感じ
🍃「あ、それってまた“教会の話”でしょ?」
夫のその一言に、私はそっと口を閉じました。
ほんの少しだけ、祈りのことを共有したかっただけなのに。
何気ない日常の中で、心の奥にしまっていた「神さまとの出来事」を話そうとしただけだったのに。
その空気が、ふわっと冷えていく感じ。
場の空気が固まって、話すのをやめてしまった経験、ありませんか?
👫私と夫の間にも、よくその“重たい空気”が流れていました。
「今日は教会でこんな話があったんだ」
「聖書の中に、今の私にぴったりの言葉があってね…」
そんなふうに口に出してみると、夫はだいたいこう言うんです。
「へぇ〜、まあ、俺には関係ないけどね」
表情は柔らかくても、どこか「興味がないよ」と壁をつくられたような感覚。
私の話が“理解されない領域”に分類されてしまう、あのさみしさ。
言葉にはしないけど、心の中ではいつも叫んでいました。
「ねえ、少しだけでも、聞いてくれない?」
「これは私にとって、大事なことなんだよ…」
💧でも、何度かそういう経験をするうちに、私はだんだん“話すこと”をやめるようになっていきました。
教会でどんなに素敵なことを聞いても、
どんなに心が癒されたメッセージを受け取っても、
それを家庭に持ち帰って話すことにためらいを覚えるようになったのです。
📖信仰って、本当は「分かち合いたいもの」なのに。
でも私には、話すたびにしぼんでいく感情がありました。
それが積み重なって、ある時には自分の信仰さえ「重たいもの」のように感じてしまうようになったのです。
🌀私の信仰が、夫を遠ざけているのかもしれない
ある晩、私はふとそんなことを思ってしまいました。
「私が信仰のことを話すから、夫が心を閉ざしてしまうんじゃないか」
「このままじゃ、ますます距離ができてしまうかもしれない」
信じているからこそ、大切にしたい思い。
でも、それを表現することで関係がギクシャクしてしまうなら…
そう考えてしまうのは、私だけではないはずです。
でも、ある日。
その思いを祈りに変えていたとき、ふと心に浮かんだのが、この御言葉でした。
「言葉を惜しむ者には知恵があり、冷静な人には悟りがある。」(箴言17章27節)
🌿私は、ハッとしました。
「語ること」がすべてじゃないんだ。
「沈黙」もまた、神さまの愛を伝える手段になるかもしれないんだと気づいたのです。
🌱話すことをやめた代わりに、祈ることを始めました
夫に「この御言葉が素晴らしかったよ」と話す代わりに、
私はその言葉を心にしまって、夫のために祈ることにしました。
話さなくても、わかってもらえなくても、
「神さま、夫の心に、あなたが語りかけてください」
そう祈る時間が、少しずつ私の心をやわらかくしていきました。
不思議なことに、そうやって祈るようになってから、
夫の中にほんの小さな変化が見えてきたのです。
「最近、教会行くの、楽しそうだね」
「なんか前より元気そうじゃない?」
そんな一言をもらっただけで、私の心はじんわりとあたたかくなりました。
ああ、伝わっていないようで、
「私の信仰」が、少しずつ夫に影響しているのかもしれない。
そう感じられた瞬間でした。
💡「語らずとも伝わる信仰」がある
「信仰の話をすると空気が重くなる」
それは、私の話し方が悪いのかもしれないと悩んだ時期もありました。
でも、実はそうじゃなかったんです。
夫は、私が“信仰というフィルター”を通して話すことよりも、
「私がどう生きているか」「どう夫婦で接しているか」を見ていたんですよね。
📖思い返せば、こんな御言葉があります。
「あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」(マタイの福音書5章16節)
この言葉に触れたとき、「あ、これだ」と思いました。
私が口で説明する信仰よりも、
生活の中で静かに光る“行い”のほうが、何倍も力があるんだと。
🌷ある日曜日のこと。
私はいつものように教会に行こうと準備をしていました。
すると、夫がポツリとこう言ったのです。
「…俺も一回くらい、一緒に行ってみようかな」
一瞬、時間が止まった気がしました。
冗談かと思って見つめると、夫は恥ずかしそうに目をそらしていました。
その日はまだ実現しませんでしたが、
私の中には、確かな希望が灯ったのです。
信仰は、「語れば伝わるもの」ではないかもしれない。
でも、「生き方を通して伝わるもの」には、力がある。
神さまが、私たちの“沈黙の祈り”にも、確かに応えてくださっていると感じた瞬間でした。
💬あなたにも、空気が重くなる経験がありますか?
「信仰のことを話すたびに、夫が無言になる」
「“あぁまたか”って顔をされるのがつらい」
「だからもう、信仰の話をするのがこわい」
そう感じるあなたは、決して弱いわけじゃありません。
むしろ、それだけ信仰を大切にしている証拠です。
でもね、無理に語らなくてもいいんです。
神さまは、あなたが語れない夜の涙も、重くなった空気の中で祈った小さな想いも、ちゃんとご存知です。
📖そして、あなたの祈りには、こう語りかけてくださいます。
「恐れるな。わたしがあなたと共にいる。」(イザヤ書41章10節)
🕊️“空気を軽くする祈り”がある
あるとき私は、神さまにこう祈りました。
「主よ、私が信仰の話をしたとき、
空気を重たくするのではなく、やわらかくできるようにしてください」
「夫の心に届かなくても、あなたの平安が部屋中に満ちるようにしてください」
この祈りは、私自身を変えました。
“伝える”というプレッシャーから解放され、
“祈って待つ”という信仰のスタイルを受け入れられるようになったのです。
そして、信仰が“生活の中に根づくもの”へと変わっていきました。
🎁 今、LINEでつながりませんか?
あなたと同じように、「信仰を話すのがこわい」と感じている女性たちが、
ここで安心して、想いを分かち合っています。
📩今なら、「夫婦関係の中で信仰を守る3つの視点」PDFを無料でプレゼントしています。
信仰を語れないときに、どう祈ればいいのか。
家庭の中で、自分を見失わずに過ごすにはどうしたらいいか。
そのヒントが詰まった、やさしい特典です。
🎁 特典:「夫婦関係の中で、信仰を守る3つの視点」
🌈語れなくても、あなたの信仰は“語って”います
あなたの信仰は、表情に、言葉のトーンに、日々のふるまいに、
静かにあらわれています。
だから、空気が重くなってしまったときも、自分を責めないでください。
その沈黙の中にこそ、
神さまの働きが始まっているのかもしれません。
今日も、あなたが信じる歩みを、神さまが豊かに祝福してくださいますように。
🌿今日も、あなたの祈りが届きますように。
コメント